日本学術会議哲学委員会【芸術と文化環境分科会】公開シンポジウム

オンライン開催

文化の互換可能性―継承、翻訳、再生―

日時:令和3年7月18日 13時~18時半

オンライン配信(Zoom)

参加無料、要事前登録、定員300名

趣旨

「翻訳者は裏切り者Traduttore, traditore」というイタリア語の成句がある。「翻訳者traduttore」と「裏切り者traditore」という語の発音の類似性に基づく一種の語呂合わせである。いかに優れた翻訳でも原文を忠実に置換できるとはかぎらず、そこにはつねに原文からの隔たりの、いわば「裏切り」の可能性が孕まれている、というわけである。文化を継承してゆくことにも、こうした意味での翻訳の側面があるだろう。つまり、想定される文化の伝統に対して、(意図するにせよしないにせよ)そこからずれていってしまう可能性であり、言い換えれば伝統を「裏切る」可能性である。ただし、その際の「裏切り」には、ネガティヴなばかりでなくむしろ「創造的」と呼べるような含意も読み込みうるのではないだろうか。本シンポジウムでは、こうした意味での「翻訳としての文化継承」の諸側面について、多彩なゲストともに考えてみたい。

趣旨説明:上原麻有子(京都大学大学院文学研究科教授/日本学術会議連携会員)

13:00~13:05

基調講演

13:05~13:30

永井由佳里(北陸先端科学技術大学院大学教授/日本学術会議連携会員)

「創造性のさまざまなあり方―文化・芸術をSDGsの視点から考える―」

講演

13:30~14:00

荒川正明(学習院大学教授)・繭山浩司(修復家)

「破壊から再生へ ―ウィーン・ロースドルフ城所蔵の陶磁器修復―」

14:00~14:30

岡岩太郎(岡墨光堂代表)

「過去と対峙する修理―伝わる過程で変貌する絵画―」

14:30~15:00

京都絵美(画家、東京藝術大学専門研究員)

「日本画の伝統と創造 ―〈模〉の思想をめぐって―」

休憩  15:00~15:20

15:20~16:00

小野真龍(天王寺舞楽協会常任理事)

「雅楽伝承における「翻訳」あるいは「再生」」

16:00~16:30

酒井邦嘉(東京大学大学院総合文化研究科教授)

「AI時代の創造と芸術」

パネルディスカッション

司会 上原麻有子(京都大学大学院文学研究科教授/日本学術会議連携会員)

16:40~18:30

小田部胤久(東京大学大学院人文社会系研究科教授/日本学術会議連携会員)

澁谷政子(福井大学教授/日本学術会議連携会員)

島尾新(学習院大学教授)

武田宙也 (京都大学大学院人間・環境学研究科准教授/日本学術会議連携会員)

吉岡洋 (京都大学教授/日本学術会議会員)

主催:日本学術会議哲学委員会 芸術と文化環境分科会

協力:京都大学文学研究科日本哲学史専修

申し込み先:https://bit.ly/2RHm1IX

リンク先: https://www.bun.kyoto-u.ac.jp/japanese_philosophy/jp-top_page/

問い合せ先: geijyutsubunkakankyo25@gmail.com

要旨

基調講演

永井由佳里(北陸先端科学技術大学院大学教授/日本学術会議連携会員)
「創造性のさまざまなあり方―文化・芸術をSDGsの視点から考える―」

文化・芸術が過去と現在を結びつけることを疑う人は少ないと思われる.では,現在の文化・芸術は,未来社会とどのように結びついているのだろうか.SDGsは「持続可能な開発目標」として2030年までに到達すべき17のゴールを掲げる.169の具体的なターゲットと232の指標は,私たちが取り組むべきことを明らかにしており,芸術・文化ももちろん多数のターゲットと関わっている.さらに,OECDが示す未来にむけた教育の概念は,芸術・文化の本質,すなわち「創造性」と直結している. 2030年という近い未来にWell-being社会という到達目標を置き,よりよい生き方とは何かと,私たちに問いかける.―主体的に生きることー創造的な生き方―そのための能力は何か?
本シンポジウムの機会に,これまでの創造性研究,そして,これからの創造的な生き方や実践コミュニティについて,皆様と一緒に考えてみたい.

講演

荒川正明(学習院大学教授)・繭山浩司(修復家)
「破壊から再生へ ―ウィーン・ロースドルフ城所蔵の陶磁器修復―」

現在、我が国の陶磁器研究の重要なテーマとして、在外の国産作品の調査がある。とくに西洋各国の王侯貴族が宮殿を飾るアイテムとして求められた古伊万里磁器は、その熱狂的な愛着を凝縮させたような「陶磁の間」に現在も保存されており、18世紀にはかなり広大な拡がりをもって古伊万里が受容されていた状況が明らかにされている。
今回の発表で触れるオーストリア・ウィーン郊外に位置するロースドルフ城の調査は、2018年から2019年に合計4回にわたり行われた。じつはこの城には特殊な事情があり、宮殿を飾った華麗な磁器のほとんどが、陶片と化してしまっていたのである。
この城を襲った破壊とは、第二次世界大戦末期、1945年に旧ソ連軍兵士によるものであった。現在の御当主であるアルフォンス・ピアッティ氏の父親にあたるフェルディナント伯爵は、第二次世界大戦中に城の地下室のワイン蔵などに、陶磁器コレクションを避難させておいた。しかし、その在処が軍の兵士によって暴かれ、そこに無残な破壊行為が加えられたのである。しかし、ピアッティ家の尋常ならざる点は、破片のひとつひとつを丁寧に拾い集め城内に陶片を保存するスペースをつくり、さらにはそれを一般に公開するころを決断したところにある。
西洋の東西の境界線近くに位置するこの城の陶片は、いったい何を語ってくれるのだろうか。数百年続いてきた西洋の古城の貴重な資料を、我々日本人が主体となって精査することが可能となったのはまさに稀有の出来事であり、日本の貿易陶磁史研究や美術史にとっても重要な機会になるであろうことを確信した。
さらに、日本が世界に誇る陶磁器の修復技術を活かし、陶片を幾つかを修復により、元の姿に近いかたちで再生させていく夢も描いてみた。破片を山のように城の床に並べて置いておくだけでは、一般の見学者に必要以上に強いショックを抱かせる結果になる。しかし、もし破片を少しでも修復し往時の美しさがそこに漂うようになるならば、見学者は破壊前の城の華やかな「陶磁の間」をイメージすることもできるであろう。
以上のように、今回の陶片調査を通して、陶片からロースドルフ城の陶磁文化の変遷史を構築すること、そして修復により陶片を甦らすこと。この二つの柱によって、ロースドルフ城を「破壊」から「再生」の場へと、未来に向けたメッセージをもった城に生まれ変わらせること。この二点の目標を掲げ、本プロジェクトが進められた。

岡岩太郎(岡墨光堂代表)
「過去と対峙する修理―伝わる過程で変貌する絵画―」

1300年以上の歴史をもつ日本の絵画は、その脆弱性から定期的な修理が必要とされ、修理を繰り返すことによって、現代にまで伝わっている。紙や絹を素地とする、この脆弱な絵画の殆どは、鑑賞や保存のために、掛け軸や巻子、屏風や襖などの形に装丁されるが、修理の際には、その装丁は解かれる。そして、素地の裏面に接着されている複数枚の裏打紙を、健全な紙に更新することによる構造補強を行う。この構造補強こそが、様々な損傷の再発を抑制し、次の世代へと安全に絵画を伝える修理の核なのである。しかし、この構造補強に付随する修理工程は、絵画に様々な変化を与える可能性をはらんでいる。
過去の修理において付加された復元的な補彩などの痕跡は、長い歴史の中で、絵画の一部として伝わってきたとしても、それは本来的にオリジナルとは異なる存在である。修理の際には、この痕跡をオリジナルと同等に扱って温存するのか、あるいは除去をするのかといった判断に非常な慎重さが求められる。また、絵画が完成した当初は襖であったにもかかわらず、過去の修理によって屏風や掛け軸の姿に変えられてしまっていることもある。
上記の補彩や装丁の変更といった過去の修理によって生じた痕跡についての詳細な記録は、多くの場合、殆ど残されていない。そのため、美術史家や学芸員と連携をしながら、過去の修理に由来する痕跡の意味、あるいは価値を読み解き、修理の方向性を慎重に検討することを、修理現場は重要視している。本発表では、過去の修理の痕跡の具体的な事例を挙げながら、長い歴史の中で変貌してきた絵画はどのように守られているのかについて、現代の修理現場の視点から考察する。

京都絵美(画家、東京藝術大学専門研究員)
「日本画の伝統と創造 ―〈模〉の思想をめぐって―」

朱沙、金青、白青、緑青、白緑、同黄、胡粉、丹、烟子、膠、これらは『正倉院文書』に記された絵画材料名で、名称や意味合いの変遷は多少あるにせよ現在でも使用されている。膠を展色材とする基本的な技法は古代から変わらず、日本画は1000年以上の伝統と謳われることもある。しかし狭義には「日本画」は近代以降の絵画を指し近世までの「日本絵画」とは区別される。近代以降の“伝統的な材料を使用した絵画”をあえて「日本画」というのは、そこに相対する概念の「西洋画」があるためである。
明治期、西洋の美術の概念、制度が導入され、絵画の分野にも多くの点で変革をもたらした。教育面では美術学校が設立されたことで日本画は流派から専攻での教育に移行した。また初等・中等教育に導入された西洋画法の概念は日本画界に次第に大きな影響を及ぼすことになった。
新しい絵画材料の開発、官展等での会場芸術としての大画面制作等、日本画の表現は幅を広げる一方、モチーフの見方、絵作り、模写に対する概念は変化した。近代以前の絵画制作では「粉本」が重要な意味を持った。しかし狩野派に代表される粉本主義は自由な創造を阻害するものとして排除され、「模写」は重要作品の記録、あるいは画家の研鑽のためにおこなわれるものとなった。本発表では特に絵画制作における「模」の思想を軸に日本絵画の変化の諸相を追ってみたい。

小野真龍(天王寺舞楽協会常任理事)
「雅楽伝承における「翻訳」あるいは「再生」」

 ユネスコの世界無形文化遺産の「雅楽」は、日本において千数百年にわたって正しい形で伝承されてきたといわれている。しかし、その伝承は、いくつかの「翻訳」と「再生」のダイナミズムを孕みつつなされてきた。
そもそも現行の「雅楽」はその形成期において、仏教とともに輸入した外来の諸楽舞を、神仏のせめぎあいのダイナミズムと並行して、純粋な日本宗教式楽へ再編成されることによって成立した。実態はほとんど新たな楽舞の形成でありつつも、「唐楽」あるいは「高麗楽」といった名称は残し、あたかも外国の音楽であるかのような体裁を維持している。この意味で、現在の様式の「雅楽」は、大胆な「翻訳」によって成立したといえるであろう。
雅楽の成立後、雅楽は大内楽所(内裏)、南都楽所(奈良)、天王寺楽所の三方楽所が核となり伝承されてきたが、四天王寺の伝承は中央から見れば、異端であった。高い技術を誇り、都の貴顕の興味をひきながらも、楽人の間では、天王寺楽人は、彼らが四天王寺から隷属民扱いをうけていたがために卑賎視されていた。しかし、応仁の乱により、都と奈良の楽人は没落し、朝儀の維持のために天王寺楽人も朝廷で演奏することとなる。近世の雅楽伝承において、中心は周辺を吸収して、あらたな雅楽のスタイルを「再生」していく。
 明治維新時の神仏分離によって、皇室儀礼から徹底して仏教が排除されたことに伴い、雅楽の宗教性からも仏教的要素が排除される。神仏習合のコスモロジーのうちに形成され育まれたはずの雅楽は、「皇国伝来の音楽」という純粋な神道世界の芸能へと「翻訳」され、「近代」雅楽として「再生」せしめられる。
本発表では、雅楽伝承における以上の三つのターニングポイントでの出来事を紹介し、雅楽という特殊な伝統音楽の継承過程における「翻訳」と「再生」を思索する端緒を提示したい。

酒井邦嘉(東京大学大学院総合文化研究科教授)
「AI時代の創造と芸術」

 人工知能(AI)がさまざまな分野で使われる時代を迎え、人間の創造性や仕事の意義が問われることとなった。人間は、既存の事物や文化を単に模倣し継承するだけではなく、その組み合わせを改変し、新たな可能性を切り拓く能力を持っている。その創造的な能力は、言語間の「翻訳」に代表されるような、脳に内在する言語能力に基盤があると考える。現状のAIはこの本質的な点において、人間を凌駕したとは言い難く、自動翻訳にも明らかな限界があるにも関わらず、未だ表面的な実用化に終始している。むしろAIの登場によって明らかになった問題点にこそ、人間の知的能力を理解するヒントがあるのではないか。実際、人間の「読み」に肉薄したAIが実用化されている囲碁や将棋においても、藤井聡太二冠の芸術的な一手に象徴されるような創造性の可能性がある。本シンポジウムでは、さらに芸術を再生させうる未来の「ルネサンス」について、議論を深めていきたい。