西田・田邊記念講演会

西田・田辺記念講演会は、もともとは、西田幾多郎と田辺元の遺徳をしのぶとともに、その哲学の いっそうの理解と発展のために寸心会講演会(1946年より)、そして田辺記念講演会(1963年より)として、別々に催されてきたものであったが、1984年より両者が一つになり、以来、現在まで続けられてい る講演会である。1984年以来の講演者とその演題は次の通りである。

これまでの演題

2019年度の講演
松丸壽雄氏(ドイツ「恵光」日本文化センター所長)
「西田と科学」
田中裕氏(上智大学名誉教授)
「懺悔道と菩薩行」
日 時 :6月1日(土)午後1時30分より

2018年度
岡田勝明氏(姫路独協大学教授)「場所の論理と自己存在の証明-西田哲学の現代性」
ジョン・C・マラルド氏(ノースフロリダ大学名誉教授)「The Question of Responsibility in Metanoetical Philosophy」
日時:6月2日(土)午後1時30分より

2017年度
森哲郎氏(京都産業大学教授)「西田幾多郎における「表現」思想図式―『善の研究』の成立と転回」
嶺秀樹氏(関西学院大学教授)「初期田辺の反省理論―西田批判の背景にあるもの」
日時:6月3日(土)午後2時より

2016年度
村井則夫氏「図式・媒介・象徴ー田辺元とパラドクスの哲学」
有福孝岳氏「西田における哲学・道徳・宗教」

2015年度
福谷茂氏「田邊元の二つの弁証法―― 絶対弁証法と「種の論理」」
村田純一氏「作られたものから作るものへ  ――西田幾多郎における技術 ・科学・宗教」

2014年度
氣多雅子氏「西田の「個物と個物との相互限定」をめぐって」
末木文美士氏「無の場所と他者・死者――西田と田辺をつなぐもの」

2013年度
加國尚志氏「死・沈黙――田辺元とブランショ」
斎藤慶典氏「西田幾多郎と生命の論理」

2012年度
藤田正勝氏「田辺元の生涯と思想――田辺元先生没後五十年を記念して――」
岩城見一氏「京都学派の芸術思想――久松真一〈禅と美術〉――」

2011年度
林晋氏 「種の論理再考―数理思想史の観点から」
行安茂氏 「西田幾多郎とT・H・グリーン」

2010年度
伊藤邦武氏「自覚と自己表現的体系」
長谷正當氏「田辺哲学と親鸞の思想―
―「種の論理」の挫折とそれの新しい立場からの展開」

2009年度
細谷昌志氏「『マラルメ覚書』と「死の哲学」―田辺哲学の帰趨―」
木村敏氏「生命・身体・自己」

2008年度
伊藤 益氏「愛と死の哲学―田辺元―」
小林道夫氏「西田とデカルト―「懐疑」と「我の存在」把握をめぐって―」

2007年度
高山 守「田辺元のヘーゲル理解をめぐって」
竹村牧男「西田幾多郎の仏教―真宗とのかかわりを中心に」

2006年度
合田正人「「種の論理」の生成と変容―その現代的意義―」
片柳栄一「アウグスティヌスと西田幾多郎」

2005年度
シンポジウム 「西田哲学が生きる医療」
吉田真一「矛盾的相即の論理」
安松聖高「矛盾的相即が生きるカウンセリング」
藤江良郎「癒しつつ癒される医療」

2004年度
中沢新一「日本哲学にとって「観念」とは何か」
溝口宏平「西田幾多郎とディルタイ―西田哲学と解釈学の出会いの可能性―」

2003年度
山田弘明「西田幾多郎とパスカルの精神」
小野寺功「西田・田辺哲学とキリスト教」

2002年度
嶺 秀樹「解釈学と田辺の弁証法」
中川久定「デカルトの身体と西田の歴史的身体」

2001年度
井上克人「西田・田辺哲学における道元理解をめぐって」
山形頼洋「西田哲学の自覚とフランス哲学の自我と他者」
上田閑照「西谷先生生誕百年を記念して」

2000年度
大峯 顯「西田幾多郎の宗教思想」
辻村公一「ハイデッガーの遺文『聖なる名の欠在』について」

1999年度
田中 裕「田辺元の科学哲学」
山本誠作「西田哲学とホワイトヘッド」

1998年度
堀尾 孟「西谷先生の思索の性格」
渡邊二郎「深き奥底―西田幾多郎偶感―」

1997年度
小坂国継「西田哲学の課題」
長谷正當「死と「実存協同」―田辺の晩年の思想をめぐって」

1996年度
野家啓一「科学論から見た西田哲学」
細谷昌志「行為的自覚―田辺哲学の立脚地」

1995年度
ジェームズ・W・ハイジック「種の論理とグローバル・ヴィレッジ」
上田閑照「西田幾多郎―人間の生涯について」

1994年度
久重忠夫「『受苦(パトス)の倫理学』の試み」
西川富雄「西田哲学における存在の論理」

1993年度
石田慶和「田辺先生の宗教哲学について」
北森嘉蔵「絶対者の『悲痛』をめぐって―西田・田辺両哲学との関連で」

1992年度
大橋良介「技術・身体・世界―ヨーロッパ現代哲学と京都学派の哲学」
阿部正雄「アメリカにおける西田哲学研究」

1991年度
クラウス・リーゼンフーバー「純粋経験と絶対意志」
斉藤義一「田辺哲学について」

1990年度
ヤン・ヴァン・ブラフト「田辺と哲学と宗教」
上田閑照「経験と自覚と場所」

1989年度
湯浅泰雄「西田における東洋的思考」
野田又夫「西田哲学と田辺哲学」

1988年度
新田義弘「西田前期の思索における経験と反省―西田哲学の同時代性」
武内義範「田辺哲学における理性について」

1987年度
木村敏「精神病理学に於ける自己の問題」
門脇卓爾「西田哲学とカント」

1986年度
小川圭治「西田幾多郎とキリスト教」
辻村公一「田辺哲学と死の問題」

1985年度
末木剛博「西田哲学における矛盾の概念」
武藤一雄「無即愛―田辺哲学とキリスト教」

1984年度
坂部恵「かたりとしじま」
下村寅太郎「日本の哲学と日本語について―西田哲学のライトモティフに関連して」


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