2017年7月 日本哲学国際学会IAJP(国立台湾師範大学)に藤貫裕(D1)、大角康(D1)、満原健(OD)が参加しました。

報告:

藤貫裕 日本哲学史専修博士後期課程1回生

7月28・29日にかけて台湾師範大学で開催された日本哲学国際学会は、非常に実り多いものであった。学生の内から国際学会に参加し英語で発表し質疑応答する、という貴重な経験が得られたことも勿論であるが、何より、日本哲学への国際的な関心の高さと広まりを体感出来たことが大きい。発表内容に応じて7つに分けられた分科会では、多様かつユニークな視点からの発表がなされ、英語・日本語・中国語が入り乱れながら活発な質疑応答が展開された。例えば私が発表した「日本美学」の分科会では、司会はイスラエルから、もう一人の発表者はカナダからの参加であった。そして質疑応答では、それぞれが取り上げた九鬼周造の美学や文化論について、理論的な内容を掘り下げた鋭い質問は勿論、「日本文化」という広い関心から九鬼自身の生い立ちや時代といった大きな思想背景を探る質問がなされた。このように国際的な場で発表し様々な視点に触れられたことは、今回だけにとどまらず博士論文を筆頭とする今後の研究全体の指針にもなる貴重な経験となった。

大角康 日本哲学史専修博士後期課程1回生

2017年度国際日本哲学会にて筆者は、“Unifying intuition as non-experience”という表題にて口頭発表をさせていただくという好機に与かることができたのだが、発表会場の雰囲気は大変和やかでありそれでいて活発であったため、筆者の発表の際にも多くのご質問をいただけたことは光栄であった。上記の筆者の発表においては「死」が鍵語となるために『存在と時間』におけるハイデガーの議論との親近性をお感じになられた方々が多い様であったのだが、筆者が当該発表において表現したかった「死」というものはそのようなものとは異なるために、表現方法や議論の展開のさらなる工夫の必要性を実感した。

世界各国から日本の思想に対する様々な関心を持つ方々が一斉に集い、自らの研究成果の一端を互いに披瀝し合うことはそれだけでも実り多いことであることは今さら言うまでもないのだが、それのみならず、何と言っても国際日本哲学会において特徴的であるのは先述した雰囲気の良さであろう。当学会は、国際的な哲学研究の輪の広がりを担うものの一つとして日本の哲学が機能することは十分に可能であることの証左になるものであろうし、そのような場にて日本人が積極的に発言することは大変意義深いと思う。当学会での経験は筆者自身にとって貴重な経験になったのみならず、この学会のさらなる発展と、そのことを通じた多角的な日本文化とその根柢の研究の進展を願わずにはいられぬようにさせてくれるものであった。

満原健 日本哲学史専修OD

報告者は、2017年台湾で開催された日本哲学国際学会に参加し、研究発表を行った。参加してみて驚いたのは、日本人以外の参加者が、しかも若い研究者が多かったことだった。海外でなされている日本哲学研究は規模のごく小さいものだと考えていたが、今後は海外での日本哲学研究の質が高まり量も増えていくことを予感した。

発表については、自分の英語力の低さというのを痛感した。自分の伝えたい内容を即座に英語で言えるという水準には全く至っておらず、また少し癖のある発音をするネイティブスピーカーの英語はほぼ聞き取れず、明瞭な発音をする人の場合でも、10分以上続く発表内容を正確に理解することは難しかった。国際学会への参加が必要とされる現在の状況に自分がついていけていないということを肌身で知ることとなった。

最後に、この学会に参加するための旅費等を支給してくださった京都大学、またそのための手続きをしていただいた上原先生、事務の方々に感謝を申し上げたい。